意味に溢れる社会への反抗

いとこから紹介された3曲は自分が年取ったなと認識した瞬間だった. 例えるなら, 老人が若者の文化をみて理解できないと言う時の老人の感覚が分かったと言うべきか. (一部の曲しかみて判断してないのでこのような言葉で気分を害した人がいたらすいません. )
上から順に全て見ていくことをお勧めする.

ヤバイTシャツ屋さん – 「肩 have a good day」Music Video
打首獄門同好会「日本の米は世界一」
岡崎体育 『感情のピクセル』Music Video

聞いてみただろうか. 僕の感想は前に書かれている感想の通りだ. だが, この感覚を共有するために何人かに紹介し, 何度か聞いていくうちに良いかも?と思っている自分がいる… 最初に拒絶反応を示した人は日を改めてもう一度聞いてみると良いかもしれない.

ところで, なぜこのような強烈な感情を抱いたのだろうか. 滅多にない感情を抱いたならば, なぜ, その感情が湧いたかを考えることは大切だ.

曲の特徴を整理していく. ヤバイTシャツ屋さんの「肩 have a good day」と打首獄門同好会の「日本の米は世界一」の共通点はBGMは格好いい. 奇抜に溢れているわけではなくどちらかといえばオーソドックスよりではあるが. 議論の焦点は歌詞だ. 主張があるが全く深くはない.「肩 have a good day」が主張していることは, 肩幅がある人が説得力があることと, 肩幅の広さよりも心の広さが大切であると言っているだけだ. しかも前者について散々歌ったにも関わらず, 最後に後者で締めくくるというありさまだ. 打首獄門同門会の「日本の米は世界一」では, タイトルの主張しかしていない. しかもその論証としての歌詞は具体例の羅列で終始する. 文章と呼べる部分はほとんどない. 確かに具体例の羅列によってそれを紹介する歌として水曜日のカンパネラの「シャクシャイン」が挙げられる. だが, それと比較してもあまりにも文章と言える部分が少ないと言わざるを得ない.

さて, ここで一度確認をしなければならないのは曲はなんのために存在するのかということだ. 現状, 私たちの多くが集中して音楽を聴かなくなってきている. 集中して聞く場面はクラシックやJ-popのコンサートやライブに行くときのみではないだろうか. 普段聞く曲では意味を取らずにBGMの雰囲気を楽しみ, 時折耳慣れたフレーズに反応する, 基本は聞き流し. 音楽に携わっている人はこの限りではないが… だが, 先に挙げたタイミング以外に多くの人が集中して曲を聴くタイミングがある. それは, 新しい歌手, 新しい曲を聴くときだ. このときに良い歌手, 良い曲だと認識されればその人の聞き流しの際に使われる曲のリスト入りとなる.

曲で溢れかえった音楽産業の中で淘汰されて生き残ってきた曲は往々にしてBGMが他の曲よりも優れているか, 歌詞の意味が深い曲となっている. 聴衆も無意識のうちにそのような曲を求め, 歌詞は深い意味を持つものだ, という先入観を持っている. 名付ければ”意味求め症候群”に多くの人が掛かっている. 前掲した上記二つの曲は, 新しい歌手の新しい曲を聴く際に現れる”意味求め症候群”に掛かっていることを認識させてくれる. ”意味求め症候群”の人は, 聞いている最中にこの人たちは何を伝えたいのかなんとか汲みとろうする. だが, 見つからない, 聞けども聞けども見つからない. その事実に対して嫌悪感や若干の怒りを感じる人もいるかもしれない.

ここで改めて曲の存在意義を問うてみる. あなたにとって曲はどんな意味を持つか. 素晴らしいBGMに素晴らしい歌詞, 価値観を変えてくれるようなものを求める. だがここで”意味求め症候群”の人たちは振り返ってみてほしい. 自分の価値にあった素晴らしい曲をどのように用いているかを. 結局は日常生活のBGMとしてしか使ってないのではないのか. ハードルを上げるわりには取り扱いが雑ではないか. 「肩 have a good day」と「日本の米は世界一」の曲の真価は, 意味に溢れる曲たちの中で, 聞いていてBGMは良いが歌詞は真剣に聴かなくていい新ジャンルを提唱したこと. このジャンルに属する曲は日常使いに良い曲, つまり, 現状の我々に真に適している曲と言えるかもしれない.

さっきまで触れていなかった岡崎体育の「感情のピクセル」についてみていく. この曲の特徴といえば, 初めの部分にある”I don’t believe it anymore cause I feel sad. 記憶を辿ったって何も変わらないよ” から”どうぶつさんたち集合だわいわい” への劇的な転換だろう. 誰もがこの文脈も何もない跳躍に反応できるであろうか. 真面目な歌詞は最初と後半のほんの一部分にみえるだけだ. 後半は, どうぶつさんたちの話に焦点が完全に移っている…

僕は似たような手法を使った事例を知っている. 札幌芸術の森にある野外美術館に行ってみると良い. あそこには, 彫刻の前で”意味求め症候群”を何度発症しても意味は見つけづらい. 私見であり, 実際はどうだか知らないが, 現代芸術の特徴は日常で感じ得ない異質感を提供するものだと考えている. その意味において, 岡崎体育の「感情のピクセル」は異質感を見事に感じさせている. マルセル・デュシャンの「泉」は近代芸術として評価されるが僕が考える現代芸術の始まりはこのあたりにあるとも思う.

上の画像がマルセル・デュシャンの「泉」. 最初はスコットランドの近代美術館に展示された. 便器にサインを書いただけの作品である.

このような曲や作品たちに出会ったとき, ”意味求め症候群”の人々はどうすれば良いのか. 一つは病状をコントロールすること. つまり, 意味を問うことをやめるか, 適度に意味を問わないタイミングを取るかだ. 理解できないものに出会ったら肩をすくめて苦笑いしながらも楽しむ. もう一つは,(こちらが多数派なのだが), 病気をこじらせること, つまり, どんなことであっても意味づけをしていくことである. 今回の例で言えば, 「肩 have a good day」と「日本の米は世界一」はBGM良, 歌詞意味なしという領域を開拓した, 「感情のピクセル」は現代芸術的であるとして, 手放しで称賛することだ. そうすればいつかは, 歌詞は非常に良いがBGMが絶望的な曲が出てきた時でも迷いなくスタンディングオベーションをその曲に与えられるようになるだろう.

———-雑感(`・ω・´)———-
これらの曲を教えてくれた いとこ, ありがとうー.

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